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韓国サスペンス映画『殺人の告白』に見る、役者のルックスの重要性

22年目の告白 -私が殺人犯です-』がいよいよ来月公開ということで、本家のほうをレビュー。

韓国のサスペンス映画『殺人の告白』である。

 

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Amazon/殺人の告白 [DVD]

 

本作はすでに時効をむかえた連続殺人事件、その真犯人を名乗る青年・ドゥソクがメディアの前に現れたことで、大騒動が巻き起こるストーリー。

 

ドゥソクを演じるのは韓国の人気俳優パク・シフ

切れ長の瞳に化粧品のイメージガールばりの美肌、スリムで長身な体型。一見「この優男め!」の悪態がジャストフィットしそうなのに脱いだらムキムキという、少女漫画王道タイプのイケメンだ。

 

ドゥソクと対決するのは、時効まで事件を追い続け一度は犯人に肉迫した担当刑事・ヒョング

ほどよく薄汚れた雰囲気と、敏腕刑事じゃなければ反社会的勢力の人としか思えない鋭い眼光を持つ男くさいタイプのイケメンで、韓国のベテラン俳優チョン・ジェヨンが演じる。

 

あらすじを読んだときはシリアスなスリラーかと思ったが、「アクションエンターテインメント」とある通り、エンタメ性の強いアクション作品だった。

 

追って追われてカーアクションは迫力満点だし、ボーガン使いやヘビ使いという"強すぎる一般人"も登場するし、さらに後半では「そうか、お前も強かったな」という"第三の男"も登場。

 

とにかく派手、ところどころボケ(ミーハー女子高生など)も挟み、一瞬たりとも観客を退屈させないおもしろさである。

 

さらにこの映画のすごいところは、これだけアクション・エンタメに比重を置いているのに、サスペンスとしても練られているところ。

 

実はあらすじを読んだ段階で「こういうことかな」と予想していた真相があった。

そしてクライマックスであきらかになった真相の半分はその予想していたものでアタリだったのだが、もう半分は全く予想外のもの。

 

「あー、なるほど!」真相を知って全てがストンと腑に落ちる感覚という、サスペンスの醍醐味を味わわせてもらった。

 

 

そんなおススメ映画な本作だが、実はもう1点、非常に興味深いポイントがあった。

役者さんのルックスである。

 

本作は、物語の前半はドゥソクとヒョングの2人を軸に進むのだが、後半に入る頃に“第三の男”、Jが登場する。

 

このJというのがもー、国境を越えてどこまでもブサメンで通るブサメンなのだ。

 

別にフォローではなけれど、顔のつくりだけみれば騒ぐほどブサイクではない。普通だ。

にも関わらず、誰もが生理的嫌悪感を抱かずにはいられないほどのブサメンに仕上がっている。これは役者さんの力だろう。

 

ともあれJはSクラスのブサメンなのだが、そのルックスが本作のクライマックスで非常に重要な効果を発揮している。

もしJまでイケメンだったらクライマックスのどんでん返しにあれほどのインパクトはなかっただろう。

 

ネタばれになるので詳しくはかけないが、一言でいうなら「イケメンが輝くにはブサメンが必要」という話だ。

「俗悪な人がいるからこそ清廉な人が輝く」とも言えるかもしれない。

 

しみじみ思ったのは、映画というのは映像の作品なんだなあということだ。

本作は映画における役者のルックスの重要性を思い知らされる1作でもあった。

 

 

迷えるアラサー女は閲覧注意?テレビ史上最悪の放送事故にひそむ真実とは

 

今から40年以上前、アメリカの地方局で、テレビ史上最悪の放送事故が起きた。

生放送のニュース番組に出演していた女子アナが、カメラの前で拳銃自殺したのだ。

 

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『ケイト・プレイズ・クリスティーン』劇場フライヤー

 

放送後、該当の映像はどこにも出回らず、今や都市伝説と化したこの事件。

その背景を追うドキュメンタリー映画ケイト・プレイズ・クリスティーン』が、7月に渋谷で上映される。

 

www.uplink.co.jp

 

 

すわっ『Christine』ついに日本公開かと思ったら別作品だった

 

昨年、シネマトゥデイがあるショッキングな映画について報じた。

実際に起きた事件を元にした劇映画『クリスティーン(原題) / Christine』だ。

 

www.cinematoday.jp

 

事件が起きたのは40年以上前、1974年のアメリカ・フロリダの地方局。
29歳の女性アナウンサー、クリスティーン・チャバック(Christine Chubbuck)は、いつも通り生放送のニュース番組に出演していた。


しかし突然、“テレビ初、鮮血と自殺を放送します”という旨を口にすると、拳銃を取り出し、止める間もなく自分の頭を打ったのである。


当時はまだ録画機器が普及してなく、現在に至るまで事件の画像はどこにも出回っていない。

 

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(『Christine』予告編より)

 

『Christine』はクリスティーンを主人公に、彼女が事件を起こすまでを追う作品。

 

サスペンスに加えて社会派作品でもありそうだし、何よりクリスティーンを演じたレベッカ・ホールのこの言葉を読むと、「将来どうしたら」状態のアラサー女の1人として非常に興味を引かれた。

 

 “成功した女性”の標準に合わない女性であることがどういうことかについての映画でもあり、環境に順応できなことの苦しみについて(の映画でもあった)

シネマトゥデイ

 

 そのため先日シネマトゥデイの下記の記事タイトルを見たときは「日本公開するの!?」と驚き、別作品と知り少しがっかりした。

 

しかし詳細を見てみると、同じ題材を扱いながらも『Christine』とはまったくタイプの異なる、とても興味深い作品だった。

 

www.cinematoday.jp

 

 

現実を通して真実を?異色のドキュメンタリー

 

『ケイト・プレイズ・クリスティーン』はクリスティーンの事件を題材としたドキュメンタリー映画

 

しかし予告編や解説を見る限り、単なる事件の再現ドラマではなさそうだ。

 

www.chunfufilm.com


映し出される世界は40年以上前の過去ではなく現在。

カメラが捉えるのはクリスティーンを演じることになった女優、ケイト・リン・シールが、役をつかもうと模索する姿である。

 

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(『ケイト・プレイズ・クリスティーン』公式サイトより)

 

ケイトは事件当時を知る人に話を聞き、肌や髪の色を変え、クリスティーンの人間性に想いをはせる。

 

徐々にクリスティーンをつかみ始めるケイト。しかしそれにつれて、彼女の中である変化が起きていく。

 

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(『chunfu film』公式サイトより)

 

本作の主人公は紛れもなくケイトだ。

クリスティーンの役作りを通して、ケイトという女優の内面に迫る。

 

そして、ここからは予想だが、ケイトがクリスティーンと同化していくことで、そのケイトを通して今度はクリスティーンの内面に迫り、このセンセーショナルな事件にひそむ真実を明らかにする…という試みなのかもしれない。

 

だとしたら従来のドキュメンタリー映画の真逆をいく手法である。

映画という作り物によって実在の事件に迫るのではなく、ケイトという女性の現実を通してもうこの世にいないクリスティーンという女性を追う…どちらが現実でどちらが虚構か、わからなくなりそうだ。

 

それともまさか、狂気は伝染する…なんて、怖い話なのだろうか。

いずれにしても、ドキュメンタリー映画としてどこか実験的な、異色なものであることは間違いない。

 

 

同じ題材なのに雰囲気がぜんぜん違う!予告編見比べ 

 

紹介した2作品の予告編を見比べると、雰囲気が全く異なることがわかる。

 

『Christine』では1つ1つの表現が力強く、シネマトゥデイの記事の言葉を引用するなら「どんどん暗闇から抜け出せなくなっていくクリスティーンの姿」をダイレクトに映し出している印象だ。

 

 

一方『ケイト・プレイズ・クリスティーン』では比較的、表現は淡々としている。ケイトが手探りでクリスティーンに近づいていく様子はサスペンスよりもミステリーの雰囲気で、そして非常に繊細な印象だ。

 

 

監督も主演も違うし、そもそも劇映画・ドキュメンタリー映画とジャンルも違うのだから当たり前でしょうと言われるかもしれない。

 

しかし同じ1つの事件、1人の女性にスポットを当てていることを考えると、『演出』のおもしろさ、重要性を感じさせられる。ガラスの仮面の「たけくらべ」の亜弓vsマヤみたいな。

 

ちなみに、同時期に同じ題材の2作品が制作されたことには何か理由が?と思いきや、本当にただの偶然らしい。

 

 

 

まとめ

 

題材としている事件が事件なので、かなり好みの分かれてしまう映画かもしれない。

しかし『ケイト・プレイズ・クリスティーン』はドキュメンタリー映画として特徴的な作品でもあるので、映画好きな人にはぜひ観てほしい1作だ。

 

迷えるアラサー女の私も、ちょっとショックを受けそうな予感もするのだが、やっぱりおもしろそうなので観に行こうと思う。

 

『ケイト・プレイズ・クリスティーン』は渋谷・アップリンクにて、7月15日より公開予定。

 

www.uplink.co.jp

 

 

(※以前別ブログに書いた文章を一部使用しています。) 

 

映画『トトとふたりの姉』は遠い外国の話じゃないし、小難しい話でもなかった

 

緊迫感あるサウンドが鋭く響いた一瞬、画面の彩度がグッと上がった気がしました。

10歳のトトがヒップホップと出会うシーンです。

 

その時初めて、ここまで効果音や音楽は一切なかったかもと気づきました。

 

(予告編の1:05あたりから流れる音楽)

 

締め切った室内のような薄ぼんやりした世界の中に、突然現れた色鮮やかなもの。

それがトトがダンスから受けた印象だったろうし、同じインパクトを観客も体験します。

 

特別ハデなわけじゃないこのワンシーンがこんなにも鮮烈に映ることからわかる通り、ルーマニア映画トトとふたりの姉』はほぼ全編とても静か。

ルーマニアのスラムで暮らす10代の3人姉弟の日常を、淡々としたタッチで描いたドキュメンタリーです。

 

そう聞くと“遠い外国の社会問題の現状を伝える映画”と思われるかもしれません。

確かにそうですが、本作は国境や時代をこえる普遍的なテーマを扱った映画でもありました。

 

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映画『トトとふたりの姉』公式サイトトップページ

 

前回のブログ記事がひどかったので今回は真面目に書こうと思ったけれど、かえって自分の無教養と浅薄さが丸出しになりそうなのでやっぱりやめる。

 

話は映画『トトとふたりの姉』である。とてもいい映画だったので、もう何も考えずに東中野へ行って観てきてほしい。

 

などというエラソーな事を1gの実績もないアマチュアライターがほざいたりしたら、かえってお客さんを減らすことになりかねない。4人/月 くらいしか読まれない私のブログだけれど、その4人の中に「これからトト観に行こうと思ってたのに」という人がいるかもしれない。

 

そもそもいい映画なので自然と口コミで広まりそうだ。いや、もう広まってるのだろうか。私がトトのためにできることは、このクズなレビュー記事を今すぐ非公開にすることだけなのか。

 

しかし私みたいなパープーだからこそいえることが1つあると思う。
それはすでに述べた通り、本作は遠い外国の話ではなく、難しい映画でもないということだ。

 

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主人公は10歳の末っ子・トト、14歳の次女・アンドレア、17歳の長女・アナの3人姉弟。

父親はなく、母親は刑務所。保護者代わりの叔父さんは悪い人じゃなさそう?なのだがヤク中で、姉弟のアパートをヤク中仲間のたまり場にし、アナが薬物に手を出すきっかけを作り、最終的に警察がハンマーでアパートのドアをたたき破って突入、逮捕・退場。

 

肉親の大人たちがこの有様なので、トト姉弟の生活はハードだ。しかし幸いというか、赤の他人の大人たち、つまり学校とか施設の人とかは結構ちゃんとしてた。

 

トトがダンスと出会えたのも授業?でだし、叔父さんとアナの逮捕で頼る人のいなくなってしまったトトとアンドレアは孤児院が保護するし、釈放されたアナがちゃんと働きたいといえば先生?が資格コースを探してあげたりする。

 

本編を観る前あらすじを聞いた時は、映画『誰も知らない』(日本・2004年)のルーマニア版を想像しており、またルーマニアでは政治家が税金をバンバン懐にしまい賄賂がビュンビュン飛び交ってるとの噂を聞いていたので、姉弟の周囲にこういうまともな大人がいるのは意外だったし、ホッとした。

 

しかし、サポートを受けたトトとアンドレアが作中でどんどん成長してこれから自分の人生を切り開いていきそうな頼もしさを見せる一方での、作中のアナの変化を見ると、「なぜ行政がもっと早く…」という気持ちになる。冒頭では妹弟の親代りをつとめようと必死で頑張る超いいお姉ちゃんだっただけになおさらだ。

 

行政とか大人が、厳しい境遇に生まれた子どもの未来を守ろうとするなら、本当に早い時期じゃないと間に合わないのかもしれない。

 

最初はトトみたいに無邪気でも、やがてアンドレアみたいに「こんな生活いやだ」と反抗したり、抜け出したいとあがく。

そして「なんとかしようと頑張ったけど、何も変わらなかった」という経験を何度もしてしまうと、やるせなさみたいな気持ちに取り憑かれて、アナみたいにもう動けなくなり、抜け出すチャンスが与えられても掴みとる気力もなくなってしまう。

 

そこまでいってしまうと、もはや「未来はあなた次第よ」なんて言われても「シャラップ!机上の空論」みたいに拒否してしまうだろう。

そして姉弟の母親のようになっていく。

 

実はラスト、母親がアンドレアにある告白をする。告白といっても母親本人はそう大したことではないと思って話すのだが、この一言によって本作のテーマの1つに「貧困の連鎖」があったと明らかになる。

 

昨今では東洋経済とか小難しいメディアが、もう少し以前なら西原理恵子さんが漫画『ぼくんち』やエッセイで散々取り上げている普遍的なテーマで、もちろんルーマニアに限らない問題だ。

 

ここでようやく最初に書いた結論に戻って(「最初に結論を話すと頭が良さそうに聞こえるはず」と信じているので私はいつもやたら結論を早出しし、書き進めるうちに着地できなくなって戻って結論を変更することもしばしばだが、今回はちゃんと着地できたので変えてないぞ)、

 

本作は遠い外国の現実を切り取った映画だがその問題は決して他人事ではないし、そして小難しい映画でもない。

 

社会派のドキュメンタリー映画と聞くと、予備知識がないと理解しづらいイメージがある人もいるかもわからないけれど、本作はなくて大丈夫である。

ドキュメンタリーだけどナレーションなど説明が入るタイプではなく、劇映画っぽい雰囲気(3人は実在の姉弟でフィクションではないし、ストーリーが嘘っぽいという意味でもない)もあるので、話として理解しやすいのだ。

 

1つの家庭にスポットを当てることで国全体の問題を浮き彫りにしようという意図があるのかもしれないし、東欧とか国際情勢に詳しい人からしたら「いや、見所そこじゃないし(失笑)」かもしれない。

 

しかし「国際問題とか小難しいことはわからん」「ルーマニアどこにあるかしらん」というパープー(私である)でも本作から感じるところや考えるところがあったので、誰が観ても何か得るものがある映画だと思う。

 

「予告編とかニュースとかで観て面白そうと思ったけど、ルーマニアどこにあるかしらんしなあ」というパープーがいたら、ぜひごちゃごちゃ考えず中央線に飛び乗り東中野を目指してほしい。

 

www.totosisters.com

 

☆ポレポレ東中野☆

 

 

 

 

 

「フカキョンだからです」と認めない亀梨にチッとなった映画『ジョーカー・ゲーム』

 映画『ジョーカー・ゲーム』を観た。

 

 ジャンルはスパイアクション。大戦中?の日本のスパイ組織に所属する主人公を亀梨和也、彼が任務遂行中に出会い恋に落ちるヒロインを深田恭子が演じる。

 

 コーラ飲みながら派手な映画観てスカッとしたい時にはうってつけな1作だったが、いかんせん亀梨にイラッとする1作でもあった。

 

 おそらく本作を観た全てのモテない女がそう感じただろうと勝手に決め付け、その点だけをピックアップし、紙屑よりクズみたいなレビュー記事を超遅筆な私があと15分以内に書き上げてみようと思う。(21:13)

 

 

 任務のため一般人を装い、アメリカ軍人に接近したスパイ・亀梨(主人公)。コミュ障垂涎の社交術でうまいこと軍人のオッサンに取り入り、その屋敷に出入りするようになる。そこで働いていたメイド・深田恭子に心を奪われるのだ。

 

 これだけなら別にいい。

 

 (これだけの文量でもう21:30をすぎた。この15分ちょいの間キーボードを叩く以外何もしていないのにである。フリーライターになるとほざいてフリーターになり、1年弱もキーボードばかり叩いてきた結果がこれなのだから私はもう救いがない)

 

 「恋に落ちる必然性が感じられない」「説明が足りない」なんてヤボなことは言わない。第一そこにいるのが“メイド服の深田恭子である”という以上の恋に落ちる必然性や説明があるだろうか。

 

 問題は亀梨自身がそこに“メイド服の深田恭子である”という以上の恋に落ちる必然性や説明を見出そうとしやがる点だ。

 

 いや、正確に言うと監督の入江悠とか制作者の人々がそういう演出をしているということなので亀梨に非があるわけではないのだが、制作者はスクリーンに登場しないので、ここは亀梨に全ての責任を追求させてもらう。

 

 「責任ってなんだい。ははあ、美女にイケメンがコロッと参る筋書きが気に入らないワケですか。モテない女のひがみはコワイ、顔も心もブス」って?

 

 違う!

 

 注目したいのは亀梨が街の雑踏の中に深田恭子を見つけるシーン。屋敷で一度会っただけの彼女に、髪型も服装も違うのにすぐ気づいたのは百歩譲って「スパイだから一度会った顔は忘れない」でもいい。

 

 しかし任務になんら必要ないのにお茶に誘って写真までとり、あんなヒヒジジイの軍人(ヒヒジジイだとわかるシーンがある)の屋敷なんてやめろ、俺が力になるとまで言い出す。完全に屋敷での初対面の時に一目惚れしてるのだ。

 

 にも関わらず深田恭子に「私、天涯孤独で故郷がないの…」なんて身の上を語らせ、「(俺と同じ境遇…そうか、だから惹かれたのか…)」みたいな顔をする。

 

 「だからじゃねえ、フカキョンだからだ」とモテない女の舌打ちが劇場内に響いたことだろう。

 

 おまけにフカキョンが迷子の女の子に優しくしてあげて、その子が両親と再会するのを羨ましそうな切ない表情で見つめるのを、亀梨がさらに見つめるというシーンまである。

 

 「子どもに優しい上に、笑顔の裏に身寄りのない寂しさを隠した繊細な女性だから、俺は惹かれたんだ」と、亀梨は何が何でもセンチメンタルな恋にしようとするのだ。「しゃらくさい」とはこのことである。

 

 優秀なスパイである亀梨は、もちろん優先順位で「自分の身の安全」より「任務遂行」を上に置く。が、「深田恭子」はなんとそのさらに上に置く。早い話フカキョンが危ない目に合おうものなら任務ほっぽり出して駆けつけるのだ。“真面目な会社員が愛人のために3億円横領”の構図である。

 

 それならそれでいいじゃないか。「美人でボインで雰囲気も柔らかく声までカワイイ、つまりフカキョンだから首ったけになりました」で。

 

 なのに亀梨は決してそうとは認めない。同僚に「お前の優しさは命取りになるぜ…」なんて言わせるのだ。「優しい」!?

 

 モテない女なら思わず変な笑い声を出して髪をかきむしってしまいそうだ。相手がフカキョンじゃなくその辺にいる30前後の陰気なブスでも同じように振る舞いますとでも言う気だろうか。

 

 さすがにヒヒジジイに襲われそうになってたらそれがブスでも(ブスなら襲われないとか言うな)任務関係なしに助けるかもしれないが(というか「ブスだからいっか」と助けないなら私は二度と亀梨をメディアで見たくない)、自腹切ってまで彼女をもっといい環境へ連れて行ってあげようとまでは考えないだろう。

 

 おまけに、亀梨のこのスタンスは冒頭だけではないのである。

 

 中盤いろいろあって、またフカキョンがピンチになる。亀梨はもちろん任務をほっぽり出して駆けつける。(正確には「速やかに退避すべきところでフカキョンを助けに戻った」なので「ほっぽり出した」わけじゃないかもしれないが、逃げ切るところまでが任務でしょという理屈で強引に「ほっぽり出した」ことにして話を進めよう)

 

 その間亀梨もいろいろあったので、さすがにもうキザなことは言わないだろう、「メイド姿にぐらっとなり、チャイナ服にトドメを刺されました」と素直に認めているだろうと思っていた。

 

 ところが「どうして助けに来たの…」と訊くフカキョンに「君をふさわしい場所に連れてくって言ったろ?」などと答えるのである。

 

 「貴様まだそんなこと言ってるのか!」と、私が亀梨の上官なら面罵してビンタするところだ。そして盲愛状態の亀梨に逆ギレされ突き飛ばされ、打ち所が悪くて死亡というオープニングへ戻る。

 

 要するにここにいるモテない女が何を言いたくてキーボードを叩いているかというと、「フカキョンだから夢中になっちゃいました」となぜ素直に認めんのだである。

 

 キャバ嬢にさんざつぎ込んでるくせに「そんなにカワイイ子なんだ?」と聞かれたらムキになって「いや、顔とかじゃないから」と否定する、切なく滑稽なオッサンみたいじゃないか。

 

 しかし亀梨が「切ない」「滑稽」なら哀れんだ目で見つつ失笑すればいいはずで、舌打ちはしない気がする。

 

 舌打ちは「気に入らねえ」からしかこないのだから、つまりひがみである。

 

 「モテない女は本作の亀梨にイラッとしますがそれはひがみではありません」を説明しようとワーッと書いてきたのに、結局ひがみでしたという着地ではしょうがないのだが、考察した結果事実ならそれもやっぱりしょうがない。

 

 結局モテない女が男女関連の何かにイラッとしたらそれは全てひがみなのかもしれない。ひがみじゃないとする反論は全てひがみを認めたくない後付けなのだろうか。

 

 もはやカフェでコーヒー買う時にイラッとしても、「接客が感じ悪かったから」は後付けで、本当の理由は「前に並んでた客(きっとJKか美女だろう)には超笑顔だったくせに…」というひがみなのだ。

 

 もう、モテない女はイラッとしようが落ち込もうが、泣こうが喚こうが全部ひがみだ。それでいいのだ。

 

(現在は0:39、書き始めてから3時間以上経過してる。ろくに席も立たず調べ物もなしに好き勝手書く場合でさえこの速度である。プロライターはAIでも駆使してるのか。私が極端に遅いのか。1つだけ確かなことは、脳を最低1/4はAIにしない限り私がライターで食っていくのは無理ということだ)

 

 15分という目標は大幅にオーバーしたものの、紙屑よりクズなレビュー記事という目標は達成できたんじゃないだろうか。なんせ映画の魅力には1mmも触れず伝えず、ひたすら私のひがみを私の好き勝手に書いただけなのだから。

 

 しかしクズはともかく自己中な記事すぎて作品に失礼な気もするので、ミジンコ程度の拡散力もない私だが、本作の監督の最新作を最後に紹介させてほしい。

6月公開のサスペンス映画『22年目の告白 -私が殺人犯です-』。

 

meetia.net

 

 そして上記の記事は私が書いた記事だという、最後の最後まで「私が」「私が」「私が」、自己中ここに極まったところで<了>